九条の会・岐阜県交流集会・・2010 in東濃西 新たな出発点に!
憲法9条をめぐる情勢を学び、過去1年の県内九条の会の活動を確かめる5回目になる岐阜県交流集会は、9月20日、多治見市文化会館で開催されました。
まず、おといろアイランドの”これからどんな音色を奏でるのだろう”と新たないのちの誕生を歌った「8月16日の音」から始まるオープニング演奏、大野弦さんをはじめ地元の7人の若者たちの爽やかなうたごえから始まりました。「今日はどこへ行こうかな」「グットモーニング」「この手で」「和」など、なにげない日常を優しく歌い上げ、ラストは会場いっぱいを巻き込んだ合唱演奏になりました。
次いで岐阜県連絡会・連絡責任者の吉田千秋さんから「県内九(9)条の会の歩みと現状」と題した報告を受けました。まず、2005年連絡会設立以来5回目の今年は、東濃西の多治見・土岐・瑞浪の3九条の会が実行委員会をつくり準備を重ね、200名以上の参加者が得られたことに謝辞を述べられ、ついで各会の活動内容をかいつまんで話されました。この間政権交代や選挙があり、改憲問題が急速に進む動きもなかったため、全体として活動が失速、停滞した会も少なからずあったが、一方で日常的・継続的に多種・多様なすばらしい活動を続けた会も多くあったとまとめられ、企画内容やテーマ、運営・日常活動について具体的にその活動を紹介されました。その中で特筆すべきニュースとして、一昨年署名数で有権者過半数を集めた付知・九条の会は、その後住民過半数を目標に継続的に取り組みを続けた結果、昨日ついに達成した。隅々まで対話を広げ、小集会を持ち成功させた先進的な意義は大きく、学ぶべきものと評価され、今日のこの会で新たな知見を得て、新たな出発点となることを期待するとまとめられました。
記念講演は、本 秀紀(名古屋大学法学研究科教授、愛知憲法会議事務局長)さん、「名古屋も暑いが日本一暑い多治見に来られて光栄と」口火を切られたうえで、演題「新しい状況の中の憲法九条」を資料も入れると14ページになる膨大なレジュメを使い話されたました。内容の要約を紹介します。
1,民主党政権下の改憲動向
①2009年総選挙で「新憲法制定議員同盟」などの改憲派は後退したが、2010年参院選で自民党「勝利」、みんなの党「躍進」で改憲派は盛り返した。
②民主党も衆院マニフェストに云うように本来は改憲派。「新しい憲法」を制定し、「国連主導」の「自衛権」行使(=海外における武力行使)の容認する「安全保障基本法」を制定するといいます。
「明文改憲」の困難性から、「日米同盟」を「深化」させつつ、自衛隊の海外展開を促進させる。=基本方向は自民と共通
2,日米安保体制の現段階 -普天間基地返還はなぜ進まないのか?
米軍にとっての沖縄は①地理的条件(地球議で見るとよく分かる)、②財政的理由(思いやり予算)、③集約的訓練施設+インフラ、④政治的理由(沖縄に負担を押しつける日本の政治構造)
3,民主政権下での9条をめぐる動き
①現在進行中の海外派兵 ソマリア沖=恒久的派兵法(「武器使用」拡大による武力行使)が成立しないなら、海賊行為対処法で先取的第一弾を行使している。
②2010年内に「防衛計画の大綱」改訂をめざす ←「基盤的防衛力構想」を見直し、「複合事態」を想定しつつ、北朝鮮、中国の脅威を念頭に「防衛力」の整備+ミサイル迎撃態勢(集団的自衛権の容認」+武器輸出三原則の見直し(防衛整備協力・国際共同開発)+海外派兵協力法+非核三原則の問題点の指摘など---(10.8.27首相の諮問機関「安保懇」の報告書)
③10.11オバマ大統領来日を期に「新「日米共同宣言」を策定=「対中脅威認識の共有」「これまで米の行ってきた情報・監視・偵察への自衛隊の参加し米軍基地の防衛、後方支援など)」
④海外派兵恒久法の制定
⑤武器輸出三原則の見直し
⑥非核三原則の見直し ⑦米韓合同軍事演習への参加などを進め米を中心とする日・豪・韓の緊密な提携(ハブ同盟)を目指す
こうして傾きつつある米中心体制を軍事力で維持しようとする国際ネットワークに日本の役割が組み込まれ、「日米同盟」の深化が進み、米へいっそうの軍事的・財政的支援および経済協力が要請される
4,おわりに
日本を組み込む米世界戦略事態を丸ごと肯定し、「思考停止」的対応しかできない政府に対し、
「国民主権」を掲げる民主党政権へプレッシャーをかけること、
安保改定50年を憲法理念に沿った対等化へ進めること、
軍事同盟化の人口67%から16%へ=「20世紀の遺物」、軍事同盟に未来はない。
安保条約は一方的通告で廃棄可能。
→東アジア平和共同体構想を具体化させることで、「軍事同盟のない世界へ」
一時間半のお話の最後は、「日本が至れり尽くせりで支援をしているおかげで米は、何も悪いことをしていない人たちを大量殺戮できることになっている。それあなたはでいいのですか。沖縄の人たちは大変だだけでは、みんなが自分の問題としてとらえない。あなたはこの体制を是認することで、どれだけの人が世界で不幸になっていることを考えたことがありますか、といえば分かるのでは」と結ばれました。
午後は次のように分科会5会場に分かれ2時間あまり学習交流しました。
第1分科会 情勢討議1「改憲問題を中心にして」 報告:岐阜大教授竹森正孝さん、第2分科会 情勢討議2「基地・自衛隊問題を中心に」報告:岐阜大教授近藤診さん、第3分科会 活動交流1 報告:いわむら、不破、教職員九条ぎふ、第4分科会 活動交流2 報告:つけち、長良、郡上、第5分科会 活動交流3 報告:日野・長森、上矢作、岐阜
250名 情勢を学び、交流を深め、新たな力を!
-九条の会・岐阜県活動交流会 09in加茂-
2009年11月29日、4度目を迎える岐阜県交流集会は美濃加茂市天狗山研修所で開催されました。美濃加茂、川辺、関、美濃の九条の会のお世話によるものです。
はじめに連絡会・連絡責任者の吉田千秋さんから開会挨拶と県内「九(9)条の会」の歩みと現状について報告がありました。昨年から2組織ふえて県内78組織と連絡を取り合っていること、戦争体験や貧困・いのちの問題、自衛隊の海外派兵など様々な学習集会が引き続き多くの組織で取り組まれ、各会共同の取り組みや紙芝居、輪読、平和まつり、グッズ作り、パネル宣伝等々多彩に行われている活動の紹介もありました。「国民投票法」の来年施行を受けて、国民投票で過半数の賛同を受けるため8割の人と対話するなど、長期的展望に立って活動内容のさらなる多様性と大胆さ、組織・運営の活性化をはかるなど今後の課題も提起されました。
次いで小林武さん(愛知大学教授)の「新たな情勢の中での憲法九条」と題する記念講演。小林さんは憲法が施行されたとき小学1年生、以来憲法のお世話になり恩を被ってきた、憲法のお陰で大きくなれた、それを後で感じて憲法を勉強することを自分の仕事にしようと思ったと小林さんらしい語り口で始められました。
本論に入り、8月総選挙について国民の手で実現した政権交代は歴史的な選挙であったがその総選挙は、大政党の一つが4割台の得票で7割以上の議席を得(民主投票47,4%→221議席(73.7%)、少数政党は議席獲得できず民意の反映を阻む選挙制度、{得票数をすべての議席に反映すると 民204(42.4%)←308、自128(26.7%)←119、公55(11.4%)、共34(7.0%)←9,社20(4.2%)←7---}であること、さらに比例代表の削減案(180→100)も登場し、議会制民主主義にとって死活問題であることを指摘されました。
更に、改憲心情をもつ鳩山首相、海外派兵を合法化する小沢幹事長、小選挙区を「すごくてすばらしい」と評価する岡田外相に見られる民主党の改憲姿勢、一方で改憲派議員の大量落選、改憲反対議員の増加など国民の審判を受ける中で法制局長官の国会発言を禁止するなどの「国会改革」、通年国会などを通じ在日米軍の再編成、集団的自衛権を容認する実質的な「憲法変更」が進む危険性を強調され、憲法を9条を中心に守り活かす草の根の運動が今こそ重要とまとめられました。
昼食をすませてからはアトラクションの“平和を願う音楽とお話のひととき”、地元から安西玲子さんのキーボード、安西達彦さんのフルート演奏(もみじ、川の流れのように---)、前田保夫さんのバリトン独唱(ペチカ、平城山---)それにお話と約1時間心休まるひとときでした。
午後は、「国民投票法施行を迎えて」「自衛隊の海外派兵をめぐって」『25条と9条をどうつなげるか」「若者と9条」「新しい状況と『九条の会』活動」「『九条の会』活動(グッズつくりを含めて」の5分科会に分かれて、県内各地の活動が話し合われました。活動を背景に元気な発言が相次ぎ、新たな知恵と力を得ることが出来ました。
530人の感動を集めた 岐阜・九条の会主催:09.11.3 平和のつどい
とき:2009年11月 3日(憲法公布記念日) 開会13:30~16:00
会場:市民会館大ホール
代表呼びかけ人平方浩介さんの詩“「平和のつどい」へのメッセージ”から始まりました。平方さんの読む一行を参加者が繰り返す唱和の形をとりました。
私たちは、今 既に“戦争犯罪者” もしも この国が この先
戦を始めるようなことにでもなれば---
こんなひ弱な姿にしてしまったのは 私たちだから。
この九条を守りきることができず 起こしてしまった戦の中で
苦しみ いのちを散らす者の前に 私たちは ただ
悔恨の涙にくれ うなだれるほかないだろう。
そして 詫びても 詫びきれない 自らの弱さによって重ねてきた罪に
苦しみ続けるより ほかなくなる。 -2009年11月3日-
ついで舞台に立った市民63人による群読“新井満『自由訳 イマジン』、中田麻衣子さんのピアノの伴奏、加藤久雄さんの映像をバックに複雑な構成を見事に演じきりました。途中観客も参加、600人の大合唱になりました。浅井彰子さんの指揮・指導によるものです。25分のDVDもできあがっています。
休憩後 日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事の谷山博史さんの講演“武力で平和は得られるか?---イラク、アフガンの活動から」を聞きました。
まず谷山さんはタイ・ラオス・カンボジアで12年、さらに9.11後はアフガニスタンに「戦争の意味と結果を見届けるため」4年滞在し、帰るときには「最終的に武力では解決しない、対話がないと解決しないという信念を得」たとまず述べられ、以降その結論に至る経過を写真や表・地図などを交えて語られました。
①アフガン戦争とは何だったのか。01年ボン合意02年東京復興会議で再建の青写真ができ、04年大統領選出、05年国会議員選挙が行われ順調に独立したと思われたが、その後反政府、反米武装勢力ターリバーンの勢力が急速に広がり、戦闘地域も広がり、援助できない地域も拡大した。そのため生きるに必要な食料が得られない人(人口の1/3)、妊産婦の死亡率、帰還兵、国内避難民、戦闘による民間人の死亡者などが急増している。こうした中でアフガン人の認識が変わってきた。外国軍は自分たちを守ってくれるのではなく、攻撃する、それに対する自爆テロは自衛手段だという見方が広がった。また被占領意識も広がってきた。こうして全土の50%以上が心理的にターリバーンの支配下に入った。
②人道支援ができていない。アフガンが不安定化した原因の一つは、復興の果実を住民が感じられないことにある。100億ドル近い国際支援が投入されているが、ISAF(NATO指揮下の国際治安支援部隊)やPRT(ISAF指揮下の人道復興支援部隊である地方復興支援チーム)が連合軍に統合さてたため、空爆・掃討作戦と物品の配布が同時におこなれるなど人道復興支援が軍事利用され対テロ戦争との境界を失わせている。そのため、他のNGOなどの支援活動を困難にさえしている。
③日本しかできない仲介。JBCはまず診療所をつくり、地道により長く活動しようと医療支援をもって村に入った。外国人に不信感をもつ複雑な部族社会に入るには、医療は中立的に受け止まられるからだ。次いで井戸掘りから始め、女学校増築など農村の開発も行ってきたが、公平さを欠いたと村人の不満を買ったり、米軍からの人道支援法違反行為もあり腐心した。
出口のない対テロ戦争、求心力のないカイザイ政権、このままでは平和になることはない。米軍が2万増派すればもっと悪くなる。撤退したら更に悪くなる。収める方法は対話しかない。しかもターリバーン中核との対話が必要だ。それができるのはアフガンに軍隊を派遣していない日本しかない。西側同盟国の中でも唯一なので、特別の目で見られている。ターリバーンに近い人も日本が仲介すれば交渉に入ることができるといっている。 JBCでは07年に「アフガニスタンにおける対テロ戦争と日本の軍事支援の見直しを求める声明」を出し、政府に和平のイニシアチィブを発揮することなどを訴えているとその内容を示され、戦乱の中にアフガンが置かれてしまうことのないように、失われた時間を繰り返さないよう私たちの支援を続けていこうと思っているので協力してほしいとまとめられました。
最後に日本の学校と交流していたシギ村女子学校7年生ナズイヤさんの詩を紹介されました。
私がほしいのは 銃でなくペンの力 平和について様々なことを知りたい
戦争は私たちの国を破壊つくした 私がほしいのは
平和について考えるための時間 壊すことは簡単だけれど 造るのは難しい
だから 私がほしいのは 立ち上げるための時間
新しい世代のための神の教え 私たちの思いが置いてきぼりにならないよう
私たちがほしいのは 準備するための時間
会場での支援カンパの呼びかけに答えて、参加者から約21万円が集められ谷山さんに託されました。後日谷山さんから岐阜・九条の会の賛同者になる旨お便りをいただきました。
また会場入り口では、河合梓美さんの写真による「国際平和交流展」も行われました。
{訃報}
本会代表呼びかけ人の野村健二さん(もと岐阜北高等学校校長)は10月8日、肺がんでお亡くなりになり、10日揖斐広域斎場で葬儀が行われました。91歳でした。先生は自らのラバウルでの俘虜体験を通じてみた太平洋戦争を「無謀な戦争」「堕落した戦争」とされ、苦渋に満ちた青年時代を再び孫や孫の子たちに経験させたくないと著作を残され、反戦兵士の会や九条の会で大きな役割を果たされました。心からご冥福をお祈りし、先生のご遺志を継いでまいります。
⑤9月26日(土)13:30~16:00 ワークプラザ岐阜 4階中会議室
メディアは平和の役割を果たしているか?
高野 春広氏(東海学園大教授・元NHKアナウンサー)
「自衛隊の海外派遣報道をめぐって」
高野さんは「かも・九条の会」の代表としてご活躍、また「九条の会・岐阜県連絡会」でも司会役を勤められるなど身近な方ですが、今日はご専門のメディアと平和をテーマにお話を聞くことができました。
まず結論として、メディアは平和に役割を果たしているかの問いかけに対しては、果たしている部分とそうでない部分の両面があるとされ、恩師の真下信一氏のマスコミに100%の良い悪いはあり得ない、一刀両断はできないと、またNHK就職時にこれからはストレートの言い方はできないだろうが、その枠内でものをいってもわかる人にはわかるといわれそれを指針にしてやってきたとされ、メディア一般というレッテル張りは危険、それよりも一つ一つの番組や記事に対して物を言っていくことが大切だとされました。
次いでプロジエクターで新聞記事や写真を示しながら、①ソマリア沖海上自衛隊の活動公開時の報道について読売新聞と中日新聞の記事を紹介されました。読売はトップ記事も使い緊急出動の増加などのその役割を強調した上に、「日本の海軍だ」と大音量を流している様子を、中日は警察活動が政府説明の隻数を大幅に下回り、任務にない外国船救助に出動していること、中東・アフリカの海に派遣されている艦艇4隻、航空機2機の大部隊を強調するなど、それぞれにニュアンス・中身の違いがあることを指摘されました。また、②野坂昭和、加藤周一、瀬戸内寂聴らが登場した8月15日正午のニュースに続くNHKテレビ番組、③経営委員会や国会でも取り上げられ、「台湾支配報道は捏造」と提訴も受けているNHKスペシヤル「シリーズJAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」など、高く評価される番組への取り組みを紹介されました。
さらに、④創造的なメディア活動を追求するメディアリテラシー、⑤日本が世界に遅れをとっている市民参加のメディアパブリックアクセス、⑥第3機関に許認可権やチャンネル権を与える通信・放送委員会など、今後の日本のメディアの抱える課題を示しまとめられました。
後半の意見交流では、放送されない部分でだまされるのではないか、取り上げてほしい場合にはどうしたらよいか、よい番組がどうして深夜になるのか、放映された物の著作権の扱い、体制維持を反映するメディア、裏にメスを入れるのが報道の役割ではなどなど活発な発言が続きました。50人の参加。
来月84歳になられる先生は、東京生まれで、中国での幼少期、神戸の少年期を送られた後、第一高等学校在学中には、軍需工場への学徒動員経験もされた。さらには長い結核療養闘病生活をも経た後、物理学研究室では、朝永、坂田両博士の影響を受けられ、自由、対等な気風の名古屋大学へ、ここでじっくり研究を重ねられることになったとのこと。
ここまではは、よく理解でき親しみの湧く経歴のお話でした。その後、本論の「何を研究し、どんな成果を上げられたか」のお話になり、私は古希の今日までで、最も理解するに難度の高いテーマに遭遇した感じに陥りました。
1971年に「世界で初めてチャーム・メソンという新粒子を発見された」(新築マンションの名前ではないらしい)とのことで、「原子核乾板に素粒子の飛跡を捕えた」「航空機により高空で宇宙線を捕えた」「質量はヨウシ(陽子)の2~3倍」(私の妹は陽子という名だが養子ではないなどとバカなことを考えながら)「寿命は10のマイナス14乗秒の速度」(国家予算の兆単位を遥かに超える逆の細かさ)「高エネルギー光子が原子核との相互作用で電子対(正電子と反電子)を生み、光子と電子を増殖させる」など、など。
このあたりで、私の眼は真ん中に寄り、気が遠くなり、分かろうともしなくなり、やがて気を失い、眠りにつくことに・・・
それにしても、巨大加速器を利用するでもなく、小柴教授がニュートリノを検出した巨大地下宇宙線検出装置「カミオカンデ」を建造するでもなく、低いコストで効率的な素粒子実験を成し遂げた丹生教授に、遅ればせながらのノーベル賞を取ってほしいと痛感しました。さらには、坂田昌一教授、早川幸男教授から丹生教授、そして、ノーベル物理学賞を受けた小林誠、益川敏英教授へと受け継がれた、地元名古屋大学の自由闊達な研究の機構、体制と、皆さんが「反戦、平和」を旨として行動される伝統に尊敬の念を禁じえません。
丹生先生が名古屋の九条の会の呼びかけ人、お住まいの千種区東山小学区九条の会の代表世話人を務めておられることにも、敬意を表したいと思います。 (文・長縄豊)
<参加者の感想から>
1 名大理学部の物理講義を聴かせていただいたようで、文系の私には難しいと思っていたお話も、湯川さんの研究からずっとつながっていた”物質“の追及の話として、感動しながら聴かせていただけました。坂田先生のお名前も出て懐かしかったです。
2 物理学研究の話は難しいが、とても楽しかった。忍耐を必要とする研究だが一生続けられて国際的学者になられたことを慶びたい。
とにかく難しかったが楽しかった。宇宙はくずで構成されているのか、そんなところまで想像が及んでとても面白かった。真実を究明していこうという姿勢は、人としての生き方、社会でも真実の道を求めようとして、9条の会なども活動しておられるのかな、と感じた。
3 瞬きをする間もないような素早い動きをとらえるための、途方もない研究者の情熱を垣間見て感激しました。そういう先生のエネルギーが、一見弱々しく拝見される先生の、どこに潜んでいるのかと思いながら伺っておりました。全く縁のない世界の話でしたが、大変興味深く拝聴させていただきました。
4 1時間以上話し続けられて、とても健康であられて、安心しました。学を究めることと、社会的な真実を見極めることが共通であるというお話は、 なるほどと感心しました。(N)
画家でクリスチャンという異色の講師をお迎えし、美、平和、祈り、信仰など精神の深いところでの思いを語られ、九条の会の活動に新たな示唆をいただきました。
プロジェクターを使って、足を滑らして描く白髪一雄、穴を掘り、掘り出した土を穴と同じ塊に積み上げる関根信夫など内外の作家の作品を示し、美の創造とは何かを問いかけられました。 完璧なものをこわし、完璧な人はいない(=平等)ことに強さや美しさを主張した利休や織部、眠る猫の何もしない行為に平安と安らかさ平和を求める願いを描いた熊谷守一などから、願いが自然に形になったのが美術だと美意識の根源を語られました。更に根源的な課題は、「反戦」「平和憲法擁護」「再軍備反対」ではない。その向こうにある世界=互いに喜びと悲しみを抱いて共に生きる場が既にある、と確信できるかどうかではないか。美術は人の意図や教養や思想を超えたその先にある「祈り」のようなものと考えると美術論をまとめられました。
さらにキリスト教の「聖書」を引用したり、キリシタン文化や明治以降の内村鑑三、賀川豊彦ら、戦後の幣原喜重郎、美濃部達吉、南原繁、片山哲などクリスチャンの活動を紹介された上で、「憲法9条は聖書の根幹をなすもの」とされました。
質疑応答では、平和美術展の評価、画家の姿勢、戦争に協力した美術家、創造と生きることなどが語られましたが、「生きたいことを生きるのが表現、そのために平和を」印象の残った言葉です。
B, まさか古川さんがクリスチャンとは思いもよらなかったが、彼の特異な幼児体験からきたものだろうか。20世紀のモダンアートを中心とした一般的な解説でよかったと思う。最後のキリスト教に立脚した歴史も納得しますが、果たしてそのキリスト教が今の世界の争いを助長しているこの矛盾! これをどう考えるのかの方が大切では・・。大変理想的な楽観論ですが、果たしてこれで9条が守れるとは思えないし、それはすでに目の前に迫っている。評論家なら過去史を省みておればいいが、今は、何をなすべきかを問われている。行動を起こすべきだと思うが・・。神の加護のもとにイラク戦争は行われている! 老病体に鞭打って、9条だけでも死守してほしい。
C, 子どもと県美の「まどみちを展」を見に行ったとき、子どもが喜んでいた詩が今日紹介された。あのとき子どもはエネルギーをもらっていたようだった。改めて思いが伝わってきました。
N、 戦争の恐ろしさ。いろんな面から考えさせられました。「芸術とは、時代の中で生きていく人間の叫び」だったこと。闘わなくてはいけないのに、闘わない現代の日本の姿を、改めて「こわい」と思います。生きることは平和を求めていくこと。しかし世界には「平和」の本質を知らない人々が多くいる、という見解にはショックを受けました。歴史を学ぶことの大切さ、それを作り上げていく大人の責任、つくづく考えさせられました。
R、美術は平和を求める祈りの形」というタイトルはいいですね。このタイトルに惹かれて、今日楽しみに来ました。平和でないと絵は描けないし、描きたいものの葛藤は、その人のいたみが表現となるし・・・。戦争を肯定するのではなく、その影をいつでもキャッチできる心が大切だと思いました。
①5月23日(土)13:30~16:00 ハートフルスクエアーG 研修室
教育は平和にどうつながるか? 中嶋 哲彦氏(名大教授・前犬山市教育委員) 「全国学力テストと平和に生きる権利」
全国学力テストは、本当に子どものためになるのか?
これを考えて、犬山市は不参加を決めました。
文科省が提唱し、全国の小中学生が一斉に受験する『全国学力テスト』。賛否両論あるこのテストに全国で唯一、07年08年と不参加を決定したのが愛知県犬山市です。(本年09年より教育委員が替わって参加することとなりましたが)当時、どんな方針をもとに犬山市は不参加を貫いたのか、学力テストは平和な社会づくりにどんな影響を及ぼすのか、昨年まで犬山市の教育委員だった中嶋哲彦さんに語っていただきました。
不参加を決めた理由としては、文科省が言う「学習効果を高める」ためについての報告書は提供されないこと。「想像力や国際対応力をつける」目的もその根拠となるデータがないこと。それ以上に、全国一斉にテストを行う体制について、中嶋さんは問題視されています。
それは排他的競争の制度化であり、学力の格差は貧困とも関係があるため、公開することで格差社会が固定化する危険性もあると。それらは国民のなかに敵対感情をつくり、最終的にはアメリカのように、貧困層は兵役と引き換えにしか大学へ進学できない状況も生まれてくるとか。つまり戦争を積極的に行う社会をつくりかねないと説明されました。
参加者との質疑応答では、「どうして犬山はこんな勇気のあることがてきたのか?」の質問が。その答えは、「そもそも学力とは何か?子どもにはどんな教育をしたら良いのか。犬山ではこれらを自分たちで考え、副読本づくりや学校独自の授業などを昔からやっていた。その点で周囲を説得できた」と。これには賞賛があがりました。
ほかの討論では、いま問題となっている貧困下にある子どもについては「就学援助を充分にすること」や、平和教育を広げるために「教職員や組合が自主性と元気を持つこと」などの必要性が話し合われました。教育が平和にどうつながるのかを学べた講座でした。